今日の小説
「名刺入れ」「電柱」「お菓子」
「ハラダのラスクというものをご存知でしょうか」
取り出した名刺を私に寄越してから、運転席に向かって彼女はそう尋ねた。「もしご存知でなかったら、大変不憫なことです」
私は運転席のパワーウィンドウを下げてしまったことを、すでに後悔していた。
しかし、何も言わずに窓を閉めるのも宜しくないだろう。
もしかしたら相手が激昂して、車内に腕でも突っ込んでくるかもしれない。
そうなればことだ。
「知っていますよ」私は答えた。「群馬県のお菓子でしょう。お土産にもらったことがある」
その答えに、彼女は安堵の表情を見せた。
「そのとおりです。ご存知なのですね」
彼女は満足したのか、私の車を離れ、隣の車へと移動していった。
どうやらそこでも同じ問いを発しているようだ。
彼女は駐車場の全ての車について、同じことを訪ねていくようだった。
このように、駐車場には様々な苦難が待ち受けている。
これはただの一例にすぎない。今日のようにわけのわからない人間が来ることもあれば、
駐車場のオーナーが怒りにまかせてレッカーを呼んでしまうときもある。
私たちは本当に注意深く駐車場を利用しなければならないのだ。
帰り道、私は電柱に車のバンパーをこすってしまった。電柱にも少し傷がついたようだ。
私は舌打ちをし、今日の不運を嘆いた。そのとき、あの名刺のことを思い出した。名刺には次のように書かれていたのだった。
『株式会社群電工業 電柱の建造、測量、配架、なんでも承ります』