soy-curd's blog

へぼプログラマーです [https://twitter.com/soycurd1]

スケーラブルな小説について考えている

(※以下の文章は小説です。)

 ポータブルな情報、というと遺伝子を思い出す。私達は、遺伝子のないころはとても不便で、自分の完全な複製、というものを作ることもできなかったし、それどころか、自分が自分のままでいることさえも、ままならなかった。今ではそんなことはない。便利な世の中になったものだ。

 遺伝子ができてから結構な時間が経ったのだけれど、それから最近驚いたのが、葦、というもの。今までは別のやつが(自分ではない誰かが)、なんとか、と言い、それを私は稚拙な頭で、保持し、別のやつに伝えようと必死だった。私が情報を貯めこんでおけたから、なんとかできていたけれど、それができないやつは、人の言葉を少し変え、すぐにオウム返しするか、もしくは黙っているしかなかった。そういうふうに、なにかを誰かに伝えることは、ひどく難儀だったのを覚えている。そこで、葦だ。

 私達はしばらくのあいだ、細長い植物を用いて、なにかしら自分の気持ちを、それで書き写していた。板や、板に。それは不完全な複製ではあったのだけれど、ずいぶん長いあいだ朽ち果てなかったし、遠くのやつに渡すこともできた。こうやって私達は、簡単に自分の中に生まれた変更を、他人に伝えることができるようになった。

 たぶん一番悪かったのはあの活版業者で、私達は知らないあいだに、自分の伝えたい気持ちを、どこかの誰かに、勝手に渡されるようになった。私は今でも知らないやつに声をかけられることがある。「あなたはあの有名な」と人々は私に言う。私の気持ちはライン川やウラルを超えて、遊牧民の羊に食べられることもないまま、二つにわかれ三つにわかれ、どこかかしこで散っていき、ついには一人歩きするようになった。

 辛いのは私だけではない。私によって書かれた全ての私が辛いのだ。

 私はついに、他のやつに読まれる形式で、何かを書くことをやめた。私の書いたものは、私が書いた、私にしか読めない。私は私がこれ以上増えることがいやだったし、一人になるのもいやだった。だから私はこのようにした。私はこれを小説と呼んだ。

 活版業者は最初は私の家を頻繁にたずねたが、次第に足を遠のけた。彼も別に暇なわけではなく、誰にも読めない意味のないものを活版にする義理はない。そもそもそんな活字はなかった。私の小説を印刷するには、私の小説だけを印刷できる特有の活字がなければならなかったのだ。

 私達はそれを喜んだ。私たちは小説を手渡し、それを読んだらさらに別の私に渡しに行った。もちろん、私は自分の書いていない小説を読んだこともある。それは独特の癖があったけれど、きっとただの東方なまりなのだろうし、まあ、気にするほどのことではない。

 小説自身は、小説を書けないようだった。それはある意味、驚くべきことだった。私達は遺伝子から、自分で自分を書けるようになっている。それが世間にとって普通のことだった。私はわざとそのように(つまり、小説が不幸にならないように)小説を書いていたので、周りが不思議がっているのを、高みの見物していた。

 私達はゆっくりと朽ちていったが、周囲の他のやつは、どんどん細長い紐で繋がっていった。あの活版業者でさえそうだった。この紐は今のはやりで、例えば誰かが嬉しくて手を上げると、別の人も嬉しくなって手を上げてしまう、そういうふうに繋がっていた。それが嫌だったら紐から手を離すこともできるのだけれど、そうするやつは稀だった。誰も自分が先に手を上げたのか、誰かが先に手を上げたのかわからなくなっていた。この紐から手を離すことで、人は自分が人であるかどうかさえ、わからなくなってしまうかもしれないと恐れた。紐はどんどん増えていき、蜘蛛は(蜘蛛はこの世でもっとも堅い紐を作る)、呆れて物も言えないようだった。

 私は妻と(私達に妻は一人しかいない)相談し、私達を近くに集めることにした。私達の誰かが仮にその紐に触れてしまったら、私達の状態は、やつらの状態と交じり合い、私達ではなくなってしまうかもしれないからだ。「そう、そうすればいいんだよ。ね、あなたは今までそうやって、自分の状態を更新してきたのかもしれないけれど、結局それと今のあれとは話が違うし、それにさ、わたしが好きなあなたっていうのは、これからなにかに変わってしまうあなたってわけじゃなくて、いまここにいるあなたや、いまどこかにいるあなたなわけじゃない。わかる? 弱気になっちゃだめよ。あなたの書いた小説を、少しでもちぎってあの網に触れさせてみなさい。彼らはきっとそれに感激して、それを皆に伝え始め、この感情は、誰かにもたらされたものかもしれないけれど、きっとそれは僕達のもので、僕らの気持ちを変えるのは、誰かが変えた僕らの気持ちだ。そう言うに違いないわ。あなたは自分の小説を、彼らに与えちゃ絶対だめ。このまま誰にも読めないかたちで、私達だけでわけあって、そうやって暮らしていくのが、私達の幸せなのよ。」妻はそう説得する。彼女は私の小説を読めないにもかかわらず。

 私は好きという気持ちをなかなか言葉に言い表せない、小説には書くのだけれど、彼女はそれを読むことができない。だから私はそのかわり、妻の言うことをできるだけ聞いてあげたい。これが私達の小説がスケールできない、ただ一つの理由。